第9回 情報社会で増す食品不安に、科学に基づくコミュニケーションを 公益財団法人 食の安全・安心財団 理事長 唐木英明 先生

化学物質は、含有の有無ではなく、その量を気にすべきもの

ー 食品の厳格な安全管理が実施され始めましたが、消費者にとっては食品添加物や農薬などの化学物資に対する不安が根強く残っているように思います。

唐木先生これは非常に根の深い話ですが、消費者の皆さんの誤解によるところが大きいと考えます。これから、誤解が生じている原因を示していきましょう。
多くの方は化学物質があれば危険、無ければ安全というように、白か黒かで捉えているものです。しかし、化学物質の作用はその量によって決まる、つまり多量ならば危険、微量であれば何ら影響がないという用量作用関係によって、その安全性が判定されているのです。

ー このくらいの量ならば安全という基準はどのように決められているのでしょうか?

唐木先生多量の化学物質を一度に摂取すると死亡するおそれがあります。この致死量から少しずつ減らしていくと徐々に毒性が弱くなって、ある点で健康影響のない無毒性量に至ります。この値は食品安全委員会が実験動物によって導き出した数値ですので、人に対してはさらに安全性を高めるために、その1/100の数値を1日摂取許容量・ADIとしています。この量は「いき値」という呼び方もされ、細胞に作用するかしないかの限界値を示しています。ですからこの、いき値以下の化学物質が含まれていても身体に害を及ぼすことはないといえるのです。

ー では食品添加物や残留農薬も、ADIの量を基準に規制されているのでしょうか?

唐木先生いいえ、行政が決めているのはADIよりもさらに低い値を基準値として、それ以下ならば合法としています。化学物質と作用や規制の関係は図のようになりますが、これがけっこう複雑で混乱を招きやすく、誤解を生む元になっているのです。つまり、科学的に安全なADIの値がある一方で、行政はさらに厳しい値で規制し、それを超えたら違反としています。規制値をわずかに超えた安全な量でも法律的には違反になるので、消費者はこれは大変だ!危険だ!と感じるのです。科学的に見て安全な量よりずっと低いところに規制値を設けたことが十分に理解されず、誤解を生む要因になっているのです。

化学物質の用量作用関係

ー 化学物質の安全性は量について考えることが重要なことがわかりました。しかし、薬のように何種類かを同時に摂取すると危険ということはないでしょうか?

唐木先生薬や健康食品は多くの皆さんが進んでお飲みになりますが、これらには“必ず身体に影響がある量”の成分が配合されています。そのため、飲みすぎれば副作用が出ますし、何種類も同時に服用すれば相互作用で身体に害を及ぼすことがあります。だからこそ、お薬手帳をきちんとつけましょうといわれるわけです。一方、前述のように添加物や農薬は食品に含まれていても、細胞に作用するよりもずっと少ない量ですから、たとえ何種類かを同時に摂取しても何の作用もあらわれないことは科学的に証明されています。この両者の摂取量の違いを混同してしまうことから、食品中の化学物質に対しても相互作用の不安という誤った認識が生まれているのでしょう。

Column「天然、自然だから安全」は本当? ─── エイムス教授の発見

アメリカの生化学者ブルース・エイムス教授が1990年に発表した論文によると、すべての野菜や果物には天然の化学物質が含まれ、そのうちの52種類について調べると、27種類に発がん性があることがわかったといいます。この27種類はほとんどの食品に含まれ、アメリカ人の場合では1日に1.5gの化学物質を食事の中で摂っているというのです。1.5gと言われてもピンと来ませんが、この量は、残留農薬基準の1万倍以上にあたります。つまり、食品に含まれる化学物質は99.99%が天然由来のものなのです。無添加・無農薬という謳い文句は安全そうなイメージをアピールしますが、添加物や残留農薬は私たちが毎日食べている化学物質のうちの0.01%しかないという事実。これを知ると、無添加・無農薬への感じ方も少し変わってくるかもしれません。

違反率で見れば、上位5カ国で最も安全な中国産食品

ー 食品に対しては輸入食品を不安に感じる風潮もあると思います。とくに近年は中国産品を避ける人も多いようですが、この不安は当を得ているのでしょうか?

唐木先生中国産食品は皆さん危険だと思いがちですが、実際の統計を見ればそれが誤った認識だとおわかりになると思います。厚生労働省が発表した「令和元年度輸入食品監視統計」によると、輸入件数の多い上位5カ国の違反件数は、最多が中国185件、次いで米国136件となっていて、この数からは確かに中国産食品は危険な印象を受けるかもしれません。しかし、中国産はまず輸入件数が飛び抜けて多いうえ、検査率も9.5%と最も高くなっています。つまり大量に輸入し、そこに厳しい検査を行っているため違反件数も多くなっている。違反率で見れば中国の0.23%は米国やタイなど他国と比較してむしろ低くなっています。ですから、違反の件数だけから判断するのは間違いであり、中国産が危険という根拠はないのです。

輸入件数が多い上位5カ国の検査率と違反率

唐木先生ではなぜ中国産食品が危険といわれるようになったかといえば、いくつかの事例、とくに2008年に起きた「毒入りギョウザ事件」が大きな影を落としています。これは中国のギョウザ工場で、安全なギョウザに従業員が毒を注入した“犯罪事件”だったのですが、この事件を契機に新聞・テレビなどマスコミが中国産は危険だから調べろという大合唱となり、結果、中国産食品の検査率は最高で2〜3割に上り、それに応じて違反件数も上昇。違反率ではなく違反件数をマスコミは連日報道したため、中国産はすべて危険なものと見なされるようになってしまった。これは風評被害の典型といえるでしょう。

見えないリスクに乗じたフェイクニュースを
マスコミやネットが拡散

ー 化学物質や輸入食品への不安が、実は正しい情報を知らなかったために起きていることがわかりましたが、なぜこういった状況が生まれてしまうのでしょうか?

唐木先生近年、情報の性質や発信の仕方に3つの問題が生じてきました。
まず第1には、「“見えないリスク”の出現」です。見えないリスク、とは科学技術の発達によって出現した、五感で認識できないリスクのことで化学物質や放射能、遺伝子組換えなどが該当します。これに対し、以前からある見えるリスクは食中毒や病気、ケガなど五感で捉えられる見慣れたリスクであり、前者との大きな違いは日常的に自分自身でリスク管理ができる点です。いっぽう、見えないリスクは科学者だけが見えるリスクであるため、なんとか見えるリスクにするために検査の要求が高まり “検査神話”が起きたのです。しかし、それでもリスクがなかなか見えてこない、すると消費者には「自分達は被害を被っているのでは?」という不安が生まれ、リスク管理の当事者である事業者や行政に対する不信や不満が募るのです。

2番目は、「情報発信の民主化」です。
新聞やテレビなどの既存メディアには編集部があり、編集フィルターにかけられた情報が発信されます。これに対し、個人が情報発信するネットメディアにはフィルターがありません。情報過多の海の中で人々はアップアップし、匿名性の高い情報には、フェイクニュース、陰謀論、排他主義、攻撃性など人間の暗い面が溢れています。それらはスーパースプレッターやインフルエンサーなどによって拡散されていき、こうした情報の混乱の中で、何が正しいのかがもはやわからなくなっているのです。

3番目に挙げられるのが「TVワイドショーと週刊誌と評論家の問題」です。
TVワイドショーや週刊誌はあらゆる問題を興味本位で取り上げ、ネットで発信されたフェイクニュースをもとにTVワイドショーでは出演する評論家らがときに誤ったコメントを発して、それをさらにネットが拡散する。このような相互依存の中でフェイクニュースが増幅されているのです。

こういった原因により、例えば食品添加物について事業者団体や国の機関が出す安全という情報より、「危険」というネットの情報が信用されるようになっている、ここが大きな問題なのです。

自分自身の意識の中に、誤った判断をしがちな理由があった

ー ネットなどで歪められた情報を信じてしまうのは情報を受け取る私たちの側にも理由があるのでしょうか?

唐木先生なぜ、間違った情報を信じるかといえば、リスクを判断する上で、私たちには「危険回避バイアス」と「確証バイアス」が働いているためです。この2つのバイアスについて説明しましょう。

●危険回避バイアス
人間も動物も生命を脅かすようなものに出会ったときには「恐怖」を感じ、逃げるという行動をとります。同様に、「不安」も危険から逃れる本能的な反応ですが、恐怖と違う点は相手の正体がよくわからないという点です。動物は逃げるべきかどうかを一瞬で判断できないと生命の危機に繋がるため、正体がわからないものは危険と判断して逃げ出します。人間も同様によくわからないものに不安を感じ、避けておこうと本能的に判断します。これが危険回避バイアスであり、例えば添加物や残留農薬、遺伝子組換えなど、よくわからないものを避ける人が多いのはこのためです。
そして危険回避バイアスは情報の流通にも大きく影響します。人は命を守るために危険な情報は聞き逃すまいとしますが、安全という情報は知らなくても何の問題も無いため、全く注意を払いません。その結果、危険情報は売れる、安全情報は売れない、ということで世の中には危険情報ばかりが溢れ、安全を伝える情報はわずかという「情報のアンバランス」が生じます。消費者は危険を伝える情報ばかりに接することで「やはり危険だ」と判断し、誤解を大きくしてしまうのです。

判断のバイアス
危機回避バイアス
  • 自分の命を守るために「危険」とか「不安」という情報は聞き逃さない。
    もし聞き逃したら危険に出会うかもしれないから。
  • 逆に「安全」という情報には注意を払わない。
    聞き逃しても何の問題も起こらないから。

その結果何が起こるか?

危険情報は売れる!安全情報は売れない
世の中に流れる情報は危険情報ばかりになる!

●確証バイアス
人は自分なりの判断をしてそれを確信すると、それが先入観となります。つまり何かリスクに直面したとき、こう判断したらうまくいったという成功体験が先入観になるのです。先入観ができると、それと一致する情報ばかりを集めて「やっぱりそうだ」と確信し安心します。いっぽう、先入観と異なる情報には、「これはおかしい」と反発したり無視したりするようになります。これが確証バイアスです。
先入観を持った人は自分と同じ考えを持つ人たちと話をすれば気分がいいですから、例えば「添加物は危険」という同じ考えの人が集まってグループをつくり、「添加物は安全」という情報を無視し、添加物賛成派とは妥協せず、そんなことをいうのは企業の手先であり、けしからん、信用できないとなってしまう。これが確証バイアスの作用です。

判断のバイアス
確証バイアスと先入観
  • 「自分なりの判断」をし、それを確信すると、それが先入観になる。
  • 先入観ができると、それと一致する情報だけを集めて「やっぱりそうだ」と確信して安心するようになる。
    一方、先入観と違う情報は無視したり反発する。これを「確証バイアス」と呼ぶ。
  • こうして、強固な先入観を持った人たちが集まり、別の先入観を持った人たちと対立する。両派ともは自分の意見にあった情報しか聞こうとしないので、両派が和解したり妥協したりすることはほとんど不可能。