エキスパートに学ぶ 第8回 トレハロースの話

第8回

トレハロースの話

カラカラの細胞が生き返る。
トレハロースのストレス保護効果とは

東京工業大学 バイオ研究基盤支援総合センター

櫻井実 教授

臓器保存、乾燥血液、そしてがん治療も視野に入れた今後への期待

乾燥ストレスからの保護作用などを生かした活用が進んでいるそうですね。

櫻井教授

例えば近年、臓器保存液にトレハロースが使用されるようになりました。それ以前のグルコースを使っていたものに比べると細胞の安定化に優れ、臓器を長持ちさせることができます。臓器移植の際はドナーから摘出してから素早く手術の場に届けないといけませんが、この保存液によって運ぶ時間が長くとれ、これまでより遠くのドナーから提供を受けられるなど、医療に貢献しています。
また、生体の乾燥保存への利用も進んでいます。2004年の学術雑誌『ネイチャー』には、アメリカの公的研究機関から2年間の長期保存が可能な乾燥血小板の調製に成功した研究が報告されています。

細胞や組織の乾燥保存にはどのようなメリットがあるのでしょうか?

櫻井教授

現在のところ細胞や組織などの生体試料は低温あるいは凍結で保存する方法がとられていますが、これには電気などの莫大なエネルギー消費を伴い、高コストで停電リスクもあります。トレハロースを使った乾燥保存がそれに代わっていくようになれば、例えばiPS細胞やES細胞なども含めて貴重な生物資源の保存に寄与していくでしょう。
私がトレハロースに関わるようになったのも、乾燥保存の可能性に興味を惹かれたことが大きなきっかけでした。この糖が持つ様々な働きについては、近年多岐にわたって研究が行われるようになり、トレハロースシンポジウムでも成果が発表されています。医療分野ではがん細胞への抑制効果など非常に期待される報告もみられます。

トレハロースががんを抑えるとは非常に興味深い話です。

櫻井教授

トレハロースに脂肪酸を結合させたトレハロース脂肪酸誘導体と、リン脂質という細胞膜の構成成分で作った「トレハロースリポソーム」と呼ばれている新素材は、体内でがん細胞だけに働いて、アポトーシス(細胞の自然死)を誘導することが動物による試験で確認されています。つまり、トレハロースの構造をもつ新素材を投与することで、がんが小さくなったのです。これが人間のがん治療に適用できるようになれば、抗がん剤とは全く違うアプローチで、副作用のない効果的ながん治療が実現しますので、非常に期待されるところです。現在、この新素材のトレハロースリポソームが何故、正常細胞には働かず、がん細胞にだけ選択的に働くのかを研究しています。近い将来、世間をあっと言わせる研究成果が得られることを、楽しみにお待ち頂ければと思います。

トレハロースリポソームのアポトーシス誘導

生物にとって特殊な力を秘めたトレハロースという糖をこれからどう役立てていけるのか、研究の進展がとても楽しみです。本日は興味深いお話をありがとうございました。

取材日:2019.12.12

櫻井実 教授

東京工業大学 バイオ研究基盤支援総合センター

略歴

1979年
東京工業大学工学部高分子工学科 卒業
1981年
東京工業大学大学院高分子工学専攻 修士課程 修了
1983年
東京工業大学大学院高分子工学専攻 博士課程 修了
1983年
東京工業大学工学部 助手
1990年
東京工業大学工学部 助教授、東京工業大学生命理工学部 助教授
1999年
東京工業大学大学院生命理工学研究科 助教授
2003年
東京工業大学バイオ研究基盤支援総合センター 教授

研究内容

  • 物理化学的手法による、乾燥耐性機構の分子メカニズムの解明
  • 計算機シミュレーションによる様々なたん白質の機能メカニズムの解明